いつものように、俺は家路につく。
人気のない、暗い夜道の中を。
寝静まった、街の裏の顔を眺めながら。
その静けさは、さながらにして 全ての音を吸い尽くす、
ブラックホールのように。 もう一週間も使われてない、
寂れたライブハウスのように。
嵐が過ぎ去った後の、無人の荒野のように。
そんな道を、ただひたすらに歩き、
あるいは小走りに、通り過ぎる。
所々に灯っている明かりが、
なおも俺の歩みを早めさせる。
長くもあり、色々と考え事をしていれば
短くもある時間を経て、 俺は、ようやく帰って来る。
身を休める為の、自分の部屋へ。
ギギッ、ガチャッ。
聞き慣れた、金属をこすり合わせる音。
ギィギィと低い唸りを立てて、開く扉。
「ただいま」
街の裏の顔よりも更に深い、沈黙と、闇。
俺の声は、街の沈黙とは裏腹に、
僅かながら、こだまする。
閉鎖された、底の知れた闇。
恐怖の代わりに感じるのは、孤独感。
形だけの照明は、足場を照らしても、
心の中までは、照らしてはくれない。
俺は、光の下にいながらも、
闇に閉ざされた空間にいるような、
一種の虚脱感を感じていた。
こんな日々を生きて、何になるんだろう。
そんな気分にさえ、なってきていた。
そんな不確かな自分だけの世界で、
ふと、俺は気付く。
電話の留守録のランプが、点滅していることに。
なんてことのない、無機質な点滅。
別にたいした関心もなく、ボタンに手を伸ばす。
「よっ」
聞こえてきたのは、女性の声。
それも、一度や二度ではない、とても聞き慣れた声。
「おかえり。こんな時間までご苦労様。
しかし、本当に忙しそうなんだね。
あんたの仕事ってさ。
私?
今日は定時で終わったの。奇跡的にね。
でも、あんたは残業してるんだろうなぁって
だいたいは分かってたから、
わざと時間遅らせて電話したんだけど、
まさか、まだ帰ってないとは思わなかったよ。
本当に、お疲れ様。
あっ。そうそう。
あさっての土曜日、デートしようよ。
せっかく、映画の割引チケット、あるんだしさ。
今の内に使わないと、もったいないじゃない。
楽しみにしてるから。
それじゃ、今日はもう遅いから、私、寝るね。
詳しくは、また明日話すから。
いきなり、留守録なんてして、ごめんね。
じゃ、おやすみなさい」
・・・。
言葉もなかった。
ただただ、嬉しかった。
姿を見ることはできなくても、
生の声は聞けなくても。
この、電話ごしの声で、
俺の心に、一筋の光明が射した。
大切な人の、暖かみを感じた。
まさしく、荒野に咲く、一輪の花のように。
砂漠に降る、恵みの雨のように。
渇ききった、俺の心が、
ゆっくりと、癒されていくのを感じた。
ピーッ。
留守録を一瞬で消去する、機械音。
俺の指先に、ためらいはなかった。
再び、俺は、現実の世界へ戻ってくる。
沈黙。
しかし、闇はもう消えていた。
あと一日、頑張ろう。
俺の胸の中は、決意に満ちていた。
「さんきゅ、京香」
本人の前では、恥ずかしくて口に出来ない言葉が、
自然と、口に出ていた。
時に、木曜から金曜へと移りゆく、
とある深夜の、出来事だった。
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