ここは、高原。
凍土高原。
文字通り、凍った大地に覆われた、
草一本も生えないような、見渡す限りの
凍土高原。
ここには、1本だけ、樹が生えている。
当然、もともとここに生えていたわけではない。
僕が持ってきた、桜の樹。
今からもう4年と少し前に、この地に
花を咲かせて欲しいという、そんな単純な動機で
持ってきた、花も葉もない、1本の樹。
僕の夢は、確かに叶った。
一度は、花を咲かせた。
だが、今は再び、丸裸になってしまった。
僕が、どうしていいか分からなかったから。
それ以来、僕はしばらく、樹を見つめるのをやめた。
毎日、樹の側を通っては、通り過ぎ。
時折、優しく、樹の根元に触れる。
言葉はない。
ただ、再び枯らしてしまったこの樹に対しての、
申し訳ないと思う気持ちだけが、僕をそうさせていた。
いつものように、僕は桜の前を通る。
上は見上げない。
樹の根元にしゃがみ込んで、赤子の頭を撫でるように、
根に触れる。
この樹にまた、花が咲くことは、あるのかな・・・
そんなことを、ふと考える。
そっと。
僕の手の上に、別の手が覆いかぶさる。
思わず、僕は頭上を眺めた。
『・・・こんにちわ』
少女がいた。僕より、随分年下のようだ。
『何、してるの?』
「・・・根っこ、撫でてる」
『なんで、撫でてるの?』
「・・・なんでだろな」
『君、冷たいね』
「・・・そうか?」
『うん。冷たいけど、中は暖かい。そんな感じ』
「・・・わけわかんね」
少女は、僕に用があるのか、この樹に用があるのか。
僕には分からなかった。
その日以来、僕は毎日、ここに来るたび、
彼女の姿を見つけた。
『この樹、なんだか、変な樹だね』
「・・・なんで?」
『だって、葉も、花もないんだもの。生きてるのかなって』
「・・・生きてるよ」
『本当に?』
「・・・」
僕は、答えなかった。
『ねぇ』
「・・・ん?」
それから、一ヶ月ほどが過ぎた。
『もし、この樹が本当に生きてるなら・・・』
「・・・生きてるなら?」
『私、この樹に花を咲かせてみたいなって』
「・・・」
簡単に言うな。
少し、そう言いたかった。
でも、その気持ちはすぐに潰えた。
この樹に、花を咲かせたい。
そう思ってくれる人がいる。
その喜びの方が、大きかった。
『君は、なんでいつもここにいるの?』
「・・・」
『私と、同じ?』
「・・・そうだな」
『んじゃ、一緒に頑張ろうよ?』
「・・・一緒に?」
『うん、一緒にこの樹に花を咲かせようって願うの』
「・・・ここは、寒いよ」
『平気。君の心が暖かいから』
「・・・わけわかんね」
『あ、笑った』
それから、少しずつ。
本当に少しずつ。
前に実が成った所から、再び葉が、つぼみが芽生え、
少しずつ、桜が、その色をつけていった。
そして、本当なら、もう夏が終わろうかという頃。
実に50日の時間を経て、桜が、花開いた。
「・・・綺麗だな」
『うん、綺麗・・・こんな場所に、こんな綺麗な桜が・・・』
「・・・少し、滑稽だと思うか?」
『全然。だって、ちゃんと咲いたんだもの』
「・・・そうか」
あの桜が、再び奇跡を起こした。
『あれ・・・?』
そのまま、桜はあっという間に満開になった。
『すごい・・・』
「・・・」
もう、言葉が出なかった。
一度は絶望した、僕。
そのことが、恥ずかしく思えるくらいに。
桜は、見事に復活を遂げた。
『これからは、この桜を守っていかなきゃね』
「・・・そうだな」
満開の桜に、僕は誓った。
この樹を、再び枯らしはすまい、と。
『二人で、守っていこ』
「・・・当たり前だ」
横で微笑みかけてきた少女に、僕は素直に答えた。
一人で、樹に花を咲かせようというのは、間違いだったんだ。
二人で、一緒に。
ゆっくり、花を咲かせ、その花を守る。
これが必要だったんだ。
そうだろう・・・奇跡の桜。
心の中で、僕は呟いた。
サアアアァァァ・・・。
風に吹かれ、枝葉を揺らせる桜は、僕の質問に
頷いているかのようだった。
『私、この桜、大好きだよ』
「・・・ああ、僕もだよ」
その日、僕達は、凍土高原の一本の桜を、二人でいつまでも眺めていた。
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